学祭について

 寒くなってきた。

 季節の流れを考えれば夏の後に秋が来るのは必然だし、秋の後には冬が来るのも自明かと思われるんだけど、世の中には夏が終わるや否や部屋を締め切って、暖房をガンガンに効かせて夏を延長しようと企てる者がいるらしい。そこまでして温室の中で何をやるのかというと、受験勉強だったりする。

 今のぼくはその点で言えば素直だった。受験勉強なんてもってのほかだ。そうなると今度は大学の勉強をしなきゃならない訳だけど、ぼくが指す「大学の勉強」には、語学学習とレポート執筆に向けた文献購読の二つが挙げられる。前者はともかく後者に関してはやる気とかそういうのとはまた別の、例えるなら恩寵のような何かによって左右されるような気がして、つまり、いくら文献を読み込んだところでレポート執筆の段になれば、調子の良い時はいくらでもスラスラ書けてしまうけど、調子の悪い時には何も書けなくなってしまう。それはある意味では当たり前の話だけど、ここで問題になってくるのは、自分の能力が完全に信用できなくなってしまうという事だ。例えば、○月×日までにレポートを終わらせるといった事をスケジュール帳に書いたとしても、それが半ば祈りのような形にしかならない。その日までに何かが「降って」来なければ、単位は諦めるしかない。

 

 

 

 レポートですらそんな調子だから、ブログの更新がままならないのは当然の話になってしまう。ましてやブログのネタになりそうなイベントをことごとく虚無を感じるままに過ごしてしまうと、一年目にしてぼくの大学生活とは何だったのかとかそういう話になってしまうんだけど、深淵なのでやめる事にしよう。中学生のままのぼくだったら世界観を根底から揺るがしかねないイベントが、それなりの頻度であったんだけど、ぼくの感受性は錆つき硬直してしまったから、特に経験値を得る事はなく、妄想をしたり感情を殺したまま人と接していて気付いたら終わっていたという事を何度も繰り返してしまった。人はこうして、ブログを書いたりその他の方法でインターネットに感情をぶつけたりしなくても、ちゃんと生きていけるようになるという気づきを得た。

 

 

 

 それでも今日、虚無に終わる事を恐れつつ、ぼくは大学の学祭に来ていた。

 意外かもしれないけど、この大学をぼくは好きになり始めていた。入学当初は眼に映るものすべてが憎悪の対象だったけど、しばらく経てばその感情も氷解してしまった。そして、日が経つごと何か母校のような安心感を感じ始めていた。自分が数年前からここにいるように感じられるまで、1ヶ月とかからなかった。不思議だったのは、この感情は交友関係だとか授業だとかサークル内でのトラブルといったものへの不満とは、全く別個に発生していた事だ。確かにぼくは交友関係の拡張に失敗––何もしない事も失敗と呼ぶならまさしくそうだ––していたけど、だからといってそれを大学のせいにする気にはなれなかった。包容力にも似たこの大学の奇妙な居心地の良さは、ぼくにとって想定外だった。

 そんな大学が、普段とは違って人で溢れていて騒がしくなっているのは、何だかおかしかった。ところで、ぼくは何か出し物を企画していた訳でもないし、所属しているサークルは学祭に出展している訳でもなかった。つまり、完全にお客さんとして学祭に来ていた。人でいっぱいの大学構内を、ひとりぼっちで徘徊するのは確かに恥ずかしいのかもしれないけど、周りを見渡してみれば、出展側として参加している多くの大学生(その中には当然同級生も多く含まれている)だって、現在進行形で人生の汚点を量産しているのだ。それに比べればぼくの恥ずかしさなんて屁でもなかった。

 こうして学祭を歩いていると、やっぱりテンションも上がって来る。戯れにパンフレットを開いてみると、そこに見えるのはこんな文字列だった––『受験相談会』。ぼくの脳裏に悪い考えが浮かんで来た。つまり、冷やかしに行こうという訳だ。

 受験に失敗したからってこういう形で受験をネタにする事がどれほど惨めな事かは、その時のぼくにも分かってたつもりだったけど、逆に言えば受験をここまで積極的にネタに出来る程度には精神が恢復したという風に捉える事もできる。それはぼくにとって都合が良すぎる解釈だろうか。何にせよ、どんなに言動が痛々しくても、「祭りだから」という一言で全て納得してくれそうな雰囲気はこの大学には有った。

 

 

 

 相談相手は溌剌とした好青年という感じで、いかにも頼り甲斐がありそうだった。普段はこのタイプの人間と全く交流しないから意識していなかったけど、ぼくの大学にはこういう好青年はかなり多い。対するぼくは陰気で薄汚く、悪い意味でそのまま受験生と言われても問題無さそうだった。浪人生かと思われたかもしれない。おそらく二人とも同年齢だろうけど、どこからどこまでも対照的と言っても良かった。

 ぼくの設定はこうだ––国立大学を第一志望にしていて、併願先としてこの大学の文学部を受験する予定の高校三年生。つまり以前のぼくそのままという訳だけど、TRPGは好きだったし上手くロールプレイ出来るんじゃないかと思った。ぼくは早速自己紹介をして、志望校や模試の成績、得意科目得意分野についてあれこれ話した。これは実際のぼくの受験生時代の事実をベースに話したからそこまで不自然に思われなかったかもしれない。ひとつ失敗があるとすれば、まともな精神構造を持つ高校三年生はこの時期の学祭に来るはずが無いという事だった。でも特に突っ込まれる事は無かった。高三の相談者は少なくないのかもしれない。

 冷やかしで来たにしてはごく普通に終わってしまうような、そんなちょっと物足りないような雰囲気だった。でも、話が進んでいくうちに事態はより深刻なものになっていった。

 英語が苦手だと告げると、ならこの得点モデルを目指しましょうと彼(相談相手)は資料を見せてきた。その資料に記載されていたのは「数学」だった。この大学の文学部の受験科目に数学は無い。話は変わって、英語の個別的な対策の話題の時、彼はしきりに英訳・和訳の話をしていた。ぼくはこの大学の話をしに来たのに、彼は国立大学の事しか知らなかったのだ。ぼくは嫌な予感がしつつも、こう訊かずにはいられなかった。

 「あの、学部はどちらですか?」直後の彼の表情を、ぼくは忘れられなかった。

 「東京大学の経済学部です」

 

 

 

 目の前ではダンスサークルの男女が踊り狂っていた。日が暮れて来たのにも関わらず、メインステージ前の盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。呆然としつつ人の流れに身を任せていたら、こんなところに来てしまった。ぼくはさっき起こってしまった事を思い出そうとしていた。だけど、脳裏に映し出されていたのは別の出来事の様子だった。

 高校の文化祭––それはぼくにとって輝かしい思い出だった。あの時のぼくは間違いなく成功者だった。吹奏楽、軽音楽、同人誌制作––客観的な成功はともかくとして、今までに感じた事のない大きな達成感を覚えていたのは確かだった。終わった後も、できることなら永遠に浸っていたかったくらいだ。でも、周りの似たような成功者、とりわけ運動系の人たちはその余韻に浸ることなく、すぐさま次のステージ––受験という名の戦場への準備を始めていた。彼らのうちの何割かはそこでも成功し、学歴を掴み取った。文化祭での成功なんてちっぽけなものに感じられるくらい大きい、学歴という達成感。その余韻に浸っていることが、どれだけの快感なのかはぼくには想像できなかった。問題は、その達成感の余韻に浸ったまま送る事になってしまった彼らの学生生活だった。わざわざ他大に来てまで受験相談に乗る、あの東大生の例は果たして特殊なケースだったのだろうか。

 ぼくは意識を現実に戻した。ステージ上では、これが現三年にとって最後のステージであること、そして後輩一同は先輩に感謝してもし尽くせないという事が涙ながらに叫ばれていた。ぼくは現三年の面々に視線を向けた。この中で果たしてどれだけの人数が、今日の学祭の思い出を清算する事ができるんだろうかと考えた。確かにぼくはいつまでも受験の失敗を引きずり続けるのかもしれない。だけど、成功者の中に確かに潜む無自覚な苦悩だって、本当はとてつもなく闇が深いんじゃないか––そう考えているうちにダンスサークルはステージから引き上げ、あれだけ人でごった返していた大学もいつの間にか閑散としていた。もうすっかり夜になっていて、ポツポツと雨も降っていたせいか肌寒かった。

 これから到来する冬、そしてこれまで続いてきた冬。これら二つの冬を、どれだけの人間が超えられるのかという事について、ぼくには断言できる自信がない。ましてや、冬が終われば春が来るなんて、誰が断言できるんだろうか。